読書日記 今こそ読書をしよう!: 5月 2018

2018年5月27日日曜日

苦難の乗り越え方④ 江原啓之

手術や投薬による延命治療について、スピリチュアルな視点から

考えるということは、事実を俯瞰することになるのかなと思います。

江原さんは、病をどのように捉えて、どのように向き合うのか、

つまりは前提動機付けが根底にある必要を訴えています。

また、どうして病気になったのかと考えなおすこと。

江原さんのスピリチュアル考え方では、臓器移植については

賛成できないとのこと。それは、その行為や手術が悪いのではなく、

臓器移植による治療、延命を安易に考えてはいけない、

自分が活かされることに感謝を持って、どのように生きていくかを

強く持つ必要があるということ。



私自身は、延命や臓器移植についてはケースバイケースだったり、

難しい判断だなと思います。ただ、実際にその手術などで自分の

命が継続し、いきいきと生活している人もたくさんいることから、

人間に必要な技術であり、大事なことだと思います。



ただ、確かに江原さんのお話のように、病を通して道を見いだせといった

命や治療に感謝して、突き付けられた現実から「これからはこのように

生きていく」「また元気になって~したい」と思うことは絶対必要だと

思いました。それ自体がひいては自分の生きる希望に繋がるから。

病気と感謝は近くにあるもので、大事なエネルギーではないかと

思いました。

病気になったからと落ち込んでだけではプラスには絶対ならないと

いうことを感じました。


2018年5月26日土曜日

命の大切さ、西城秀樹さん亡くなる

朝日新聞に先日亡くなった西城秀樹さんの葬儀での野口五郎さんの

弔事全文が掲載されていました。↓

https://www.asahi.com/articles/photo/AS20180526002149.html

奇しくも、このブログでリハビリに頑張っていた西城秀樹さんのPHP寄稿に

ついて掲載したばかりでした。

心よりご冥福を申し上げます。

先日のPHPの寄稿は西城さんが自分でリハビリにどう向き合っているか、

病気前後ではどのように考え方や生き方が変わったかを

読ませていただきました。

その変化やまた舞台に立とうとする熱意をリハビリにかける姿が私の励みにも

なりました。本当に残念です。

西城さん亡き後、週刊誌などやネット媒体では、なぜ死んだかとか、なぜ病気を

したかとか、本人の生き様についてはほとんど語られていないのが残念に

思っていました。

たまたま、今日の朝日新聞webには、西城さんの親友の野口五郎さんの弔事が

全文掲載されていて、PHPが西城秀樹を主観で訴えたなら、この弔事の記事は

西城秀樹を客観で訴えたものでした。

私は世代的にまだまだ下の世代なので、ヤングマンとか著名な曲しか

知りません。それでも、私の世代にも十分に音楽活動が届く歌手でした。

野口さんは、西城さんとは結婚時期や子どもを持った時まで近くて

本当に2人は近くで生きてきたことを初めて知りました。

弔事の中からは、家族だけでなく西城さんが仲間をとても大事にしていたことが

分かりました。

ただ音楽にかけていたのではなく、仲間と切磋琢磨しながら、歌詞にも拘り

歌を通して心からのメッセージを発信していたのだなと思いました。

西城さんのその思いが亡くなるまで強かっただけに、その思いの重さを

野口さんがその重さのまま受け取り、今後の歌手活動でお前の分も、

お前を慕った人の分まで頑張ると書かれていたのを読んで、これが「愛」

「友情」「テレパシー」なんだと思わせていただきました。

そういう思いがあるから、歌というものには魂が入り、人の心を動かす

ことができると確信しました。

見えない力とは科学で証明することは出来ませんが、

心が証明する。きっと野口さんの思いの中に西城秀樹は生きているはずです。


2018年5月23日水曜日

オリエンタルラジオ 中田敦彦の働き方改革

THE21 2018-3号の記事
「天才」が語る、芸能界の働き方改革とは?
無理をしない、流されない。適材適所の働き方を

以上の記事を読んでの所感です。

この記事を読んで、今の時代にあった「働き方」、また「働き方」

とは時代が進むにつれてその在り方や常識、縛りが変化してきていて

それを掴むことがヒントだということに気付きました。

中田さんの凄いところは、自分の働きやすいように自分だけが頑張るのではなく

自分を生かすために、周りの力も引き出し、かつ雇用されている身でも

経営感覚を持っているというところでした。

中田さんは、自分の「実力」「長所」「できる」をよく把握していて、

それが通用する部分でのみ働いてきたということ、それ以外は相方を

始め、協力者を探し、自分に出来ない部分を補ってもらい、

結果として自分の最高のパフォーマンスを発揮してきたということ。


これは、芸能界以外でもいえるのではないかと思います。

職場の中でも、出来ないことは人にお願いして、そのかわり、

自分の得意な所では自分のチカラを存分に発揮する。

出来ないことや嫌なことを無理に行っても自分のチカラは

そんなにアップするとは思えないし、モチベーションも続かないと

思います。それよりは共働して働くということはそれぞれが

自分の持ち味を発揮でき、みんなが良い仕事を楽しく出来る

ということ。チームでできない仕事があれば、他のチームに応援を

もらったり外注するということもあるでしょう。


今の時代は自分の好きやできるを仕事にしていく時代になっていくのだと

思います。それが働き方を変えて行く→働き方改革ではないかと。


2018年5月20日日曜日

「だらしなくてダメな自分」も上等だ   心屋仁之助

なんか知らんけど人生が上手くいく話 心屋仁之助著から
本のリンク



被害者意識という言葉がありますが、これはけっこう自分で捏造している

人がいるかもしれません。

自分にもそういう部分はあると思いました。

自分に自信が無くて、持てなくて、周りに迷惑をかけている。

迷惑をかけている=嫌われている→悪口を言われている。

↑このような思考パターンも出来上がってしまいます。

そうなると自分は被害者となってしまい、周りに勝手に加害者を

作ってしまう。被害妄想的な感じですが、このように勝手に

自分自身を虐めてしまう人がいる。

心屋さんは、そういう人は実は「わたしのせいで、○○なのよ!」

という実は傲慢な人だと書かれています。

また、起きた出来事にたまたま起こったことなのに、私のせいで

と感じたいだけなんだともあります。


要は、勝手に悩みを作って、勝手に心の中でエスカレートして

余計なことを悩まなくていいぞということ。

これって、自分のことをこれでいいんだと肯定することで、

すっきりするんだなと思いました。

もともとダメな自分など存在しない。

仮に人からお前はだめだぞと言われても、それを極端に

自分が信じてしまっているだけ。

自分がOKを出してあげれば済む話。

OKを出してあげるのは自分しかいない!



2018年5月15日火曜日

淡々と黙々と

茂木健一郎さんのブログを読んでの所感です。

脳なんでも相談室。黙々と淡々とやるほうが成果はあがり(茂木健一郎5月13日付ブログ)

私は、昔からアイディアマンとか発想に富んでいるとか言われましたが、

脳科学者の茂木さんの科学的なひらめきとはどういうものか、

参考にしながら読ませていただきました。



今回の茂木さんの記事では、質問者への返答が書いてありました。

パフォーマンスを上げるには、楽しむことが大事だが、

その楽しむことも淡々と黙々とやることが、

結果的に楽しい感覚を生み出し、歓びが湧くとあります。

確かにワクワクしてくると、とても発想が湧き、感性が豊かになるのを

感じ取ることが出来ます。


しかし、そこまでテンションを上げるには、何らかのプロセスは必要だと

思いますが、それが淡々と黙々とこなしていくことで、じんわりと

楽しむ感覚を積み上げていくことで最高のパフォーマンスが出来るのだと

たいへん納得のいくことが書かれていました。


本や文章を読む、そしてアウトプットするのがこのブログです。

私もたくさんの文章を読んで、こつこつ書いて実践し、

ブログからひらめきをたくさん咲かせていきたいと思います。

2018年5月14日月曜日

理屈と実践

私が読む本は、自己啓発とか心理学とか、そのようなジャンルが多いです。

中でも斎藤一人さんとか、心屋仁之助さんとか、

小林正観さんとか、「言葉の力」を語る方の本が多いです。

人によっては胡散臭いと思う方もあるのは承知ですが、

しかし、自分が今の時点で悩んでいたり、上手くいかないことが

あるのであれば、本に書いてあることを実践するには、

お金もかからないし、それで結果として自分が納得いかなかったとしても

損にはならないと思うのです。

せっかく読んだ本も理論・理屈だけで考えてしまい、評論するだけでは

もったいない。

もし、自分が変わりたいと思うのであれば、いろいろなことに果敢に

チャレンジし自分に合う道を探すのがいいと思います。


これは、病院に行くのと同じで、体調が悪くても病院にいかないと

そのまま。また受診して、お医者さんやその方針に合わなければ

変えることができます。

そうして、自分と合えば病気も癒されるということになります。


読書もその通りです。

私は、一人さんや正観さんの「不平・不満・愚痴・泣き言」を言わないや

プラスの言葉を使うという実践が好きで行っています。

例えば「ありがとう」を100回言うとか、これでかなり自分が

変われた部分がありました。

それは、言葉が本当の感謝のココロに変わったことと、

感謝出来ることが目の前に出てきたことです。

不思議ですけど、それもまた楽しいのです。


また、心屋さんの窮地に陥った時に「失敗してもいい」と

口に出すことで、緊張の塊が溶けたことも大きな収穫です。

読書をして実践することって楽しいです。


2018年5月10日木曜日

どんな時も「最高の自分」にフォーカスする 鈴木真奈美

どんな時も「最高の自分」にフォーカスする

↑鈴木真奈美さんの本日のブログを読んでの所感です。

何とも今の自分にフィットしたから、この記事を

掘り下げてみました。

5月15.16日は今年最大のターニングポイントなそうなのです。

最近の私は、特にスランプでもがき苦しむこと、特に人間関係でありました。

疲れもとても溜まっています。

それは、今、ターニングポイントに向けての流れなのだそうです。

自分が本当にどう生きたいかを創造して、自分の波動や思いを

表現していくことで、本当にやりたいこと、なりたい自分を見いだし

それを想うことで変わっていくということ。



苦しい時、上手くいかない時こそ、自分を変えるチャンスでもあり

自分が本当はどう生きたいか考える絶好のチャンスなんだなと

思いました。

私の中で最高の自分とは、もっと精神的な自由を得て明るく楽しく

仕事をしてプライベートも緩く生きることです。

自分のこうありたいを、鈴木さんのブログにコメントしてみました。

ターニングポイントに向けて数日、強い思いを発信します。

2018年5月6日日曜日

病気にありがとうとは言えないけれど 西城秀樹

PHP799号(H26.12号)から
西城秀樹さんのインタビューです。

西城秀樹さんは、ご存知のように脳梗塞を患いました。

病気を通して、リハビリ生活を送りながら、

今まで自分の生活の無茶ぶりを振り返りながら、

今までと角度の違う生活を過ごす中で、自然の変化や

人に支えられて生きていることに

気付かされたと言います。

それは、病気を患わなければ、気付けなかったことでもあり、

観ることのできなかった景色だったと話されています。

いちばん大きかったのは、もちろん前から思っていた

人から支えられていることに強い感謝を抱いたことのようです。


じぶんのうつを体験したことと重ね合わせながら読ませていただきました。

確かに、思うところは重なる部分が多いです。

体調を崩す前は、自然の美しさを気にも留めませんでしたが、

今年は桜を楽しんだり、散歩しながらお花をみたり

今までにない価値観をうることが出来、心の支えになりました。

西城さんは、家族のためにとか、歌う!という思いがさらに

自分を支えているんだなと思いましたし、その目標にも

病気の体験から、自分のペース配分を考えなおして取り組む姿勢は

凄く力強く感じます。

人生は何歳からでもリベンジできると思いました。


2018年5月5日土曜日

苦難の乗り越え方③ 江原啓之  執着と奇跡

例えばですが、死に直面するような大病をした時に、

人間は神仏を信じない人でさえ、神頼みの心境になり

救いを乞う人はいます。

これは当然で自然だと思います。

このような状況の時に江原さんは、自分の病をいやそうという「小我」

『☆小我とは…己の欲望や願いなど自己の望みだけ叶えようとすること。』

小我を満たそうとすると粗い波動が出るため、高次元の守護霊に届かない

というような表現で書かれています。

納得のいくお話だと思って読ませてもらいました。

続けて、その小我という捉われからもがいて抜けきった時には、

自分の波動が高くなり、守護霊と同じ波動に繋がり、

道が開かれていくといいます。

これは奇跡のようなことが起きるのですが、江原さん的には奇跡ではなくて

自分の小我という執着から離れて、大我に生きて自分のオーラと

精神世界のオーラがつながったということになります。


これを悟りというのではないかと思います。

仏教においても煩悩や執着を捨てる、断ち切ることを

修行の本質とする部分があります。

江原さんの思うに、本当に執着の捨てきれた人間として

挙げられるのはマザーテレサなど限られた人しかいないと

言っています。

しかし、だからこそ魂の磨き甲斐、生きがいがあるではないでしょうか。

自分が苦しいという境涯から抜けたいと思っていたり、

自分の希望や思いを実現したいと思っていればこそ

執着から離れることが、生きたい自分への近道と思います。


単純に考えれば、自分以外の誰かを喜ばせようとか、笑わせようとか

しているときには、おそらく自分の小我は小さくなっていると思います。

間違いないです。

そういう境涯に入っていけば執着からは離れていくし、

本当の慶びになると思います。

もし、守護霊と通じ合うことが本当にあるのなら、まるで奇跡のような

ことが起こるのはないでしょうか。

その先を信じるより、まずは執着を捨てる努力をしたいと思います。



2018年5月2日水曜日

苦難の乗り越え方② 江原啓之

前回記事の続きです。

スピリチュアルとか精神世界というのは人によって信じる、信じないまたは

どちらとも言えないという人がいると思います。

とても奥深いところなのですが、

「一般論」と考えれば、何かと自分の生き方に応用できるのではないかなと

私は思っています。


江原さんは著書で、想像力が大事であるということを話されています。

人生にはいろいろな出来事が起きます。良いことや、人生を覆されるような

惨事まで沢山の出来事と生涯向き合います。

それは、自らのたましいを育てていくためと言います。

起きる出来事は事実ですが、その事実を学びに変えて、

その起きた出来事をこう受け止めて、こう向き合えばいいのじゃないかと

いろいろな想像力を巡らすことで、たましいが成長していくいうのが

江原さんのお話の一つでもあるのです。


起きた出来事に悲嘆にくれることも、私は大事だと思いますが、

ある程度悲しんだら、どう克服していくかあらゆる角度から考える。

そして、良い方向に持っていく。

そのためには、起きた出来事を自分の都合の良いように受け止めて

ポジティブに対処することも工夫、想像ではないかと思います。

そして、そのように困難を乗り越えれば優しくなれる人もいるでしょうし、

相手の立場に立つこともできる。また、ニュアンスは違ったとしても困難に

ぶつかった時には、応用し、想像力を働かせてうまく解決できるのでは

ないかと思います。

人生というのは、結局のところ、それの繰り返しだと思います。

魂の成長があるとすれば、そのような生き方を続けていくことに尽きると

考えさせれました。


2018年5月1日火曜日

苦難の乗り越え方① 江原啓之

苦難の乗り越え方 江原啓之著

10年以上前に出版された本です。

この本を読むにあたっては、スピリチュアルワールドへの理解、

死後の世界への肯定があれば、より読みやすいと思われます。



さて、この苦難についてですが、今世に置いて生きていく上では、

苦難はつきものです。

そして、受けざる得ないもの、通って乗り越えざるべきものという

感覚が一般の人にはあるのではないでしょうか。

大きな苦難やスランプは、現代が進化するほど辛いものであると

私は感じています。


江原さんが言うには、死後の世界では、同じ境涯、波動の人たちが

それぞれ集って生活しているそうです。

現生の人間社会では、他の気持ちを推し量ることは難しく、

いろいろな波動や思いの方が混在しているため、人間関係は

たいへん難しいのと考えます。

しかし、死後の世界「あの世」では同じ波動の人々が

心はテレパシーで通じ合い、言語がいらない空間なので、

その意味では苦はないと話されています。



苦難の乗り越え方ということですが、

江原さんのいう苦難とは「たましいの向上のための鍛錬(修行)、死後の世界で

よりレベルが高い空間へ転生するための修行」と位置付けられています。

故に、苦難は苦難でなく、自分の魂の向上のための好材料として

ポジティブななものとして受け入れられています。

一般的な苦難こそ、それにどう向き合うかで死後の世界、しいて言えば

今の世界の生き方までも変えてしまうというものです。


私も死後の世界は肯定する派です!

苦難とは避けて通れない道であると思いますが、

先である仕事まで見通した時、今起きていることの意味をどのぐらい

理解して、どのように自分に活現してくかのヒントを得た思いがします。

より高い波動で、死後の世界を過ごすには、苦難も感謝え受け入れること

は大事なことだと思いました。

また、江原さんは喜怒哀楽全てを味わうことが大切で、大いに楽しむことも

大切と言います。

もし、死後があるならと信じて、より楽しく意味ある人生を送りたいと思います!