読書日記 今こそ読書をしよう!: 相手の気持ちに「なりきる」

2017年2月12日日曜日

相手の気持ちに「なりきる」

池口恵観師(高野山真言宗大阿闍梨)は、とうてい普通の人が出来ない

火を使った激しい護摩行(火を転じて煩悩を焼き尽くす仏道修行)を

人の苦しみを分かるために行ってきたと語ります。

人に同情を寄せることは出来ても、同じく感じることは

なかなかできることではありません。

護摩行は「同悲・同苦」の心になりきるために行ったそうです。

しかし、池口師は言います。護摩行に打ち込まなくても、同悲・同苦の

思いになることができると。

それは普段、どのような心持ちで心を養って生活するかということです。

自分自身を振りかえってみると、子どものころのいじめから、筆舌に尽くせぬような

苦しい思いはたくさん経験してきました。

その苦しみや悲しみは、他の人のそれとは違うかもしれませんが、

その辛さを思い出して、相手の心に同化していく努力はできるではないかと

思いました。

経験は糧にしないと意味がない。苦しい体験はそのときは本当につらいものです。

しかし、後に他の心に寄り添って、他の悲しみを共有できる自分になることが

できる。

苦しみは希望の種。

私はそう信じたいと思いますし、池口師をはじめとした仏道修行者はそのような

修行で「同悲・同苦」の心を養ったのだと思います。

私自身、なぜか自分が人に弱音を話すことが多い反面、他人から相談事や愚痴を

こぼされることも多いので、この今までの体験を今に思い起こし「同悲・同苦」

の気持ちで聴かせていただきたいと思います。

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