例えばですが、死に直面するような大病をした時に、
人間は神仏を信じない人でさえ、神頼みの心境になり
救いを乞う人はいます。
これは当然で自然だと思います。
このような状況の時に江原さんは、自分の病をいやそうという「小我」
『☆小我とは…己の欲望や願いなど自己の望みだけ叶えようとすること。』
小我を満たそうとすると粗い波動が出るため、高次元の守護霊に届かない
というような表現で書かれています。
納得のいくお話だと思って読ませてもらいました。
続けて、その小我という捉われからもがいて抜けきった時には、
自分の波動が高くなり、守護霊と同じ波動に繋がり、
道が開かれていくといいます。
これは奇跡のようなことが起きるのですが、江原さん的には奇跡ではなくて
自分の小我という執着から離れて、大我に生きて自分のオーラと
精神世界のオーラがつながったということになります。
これを悟りというのではないかと思います。
仏教においても煩悩や執着を捨てる、断ち切ることを
修行の本質とする部分があります。
江原さんの思うに、本当に執着の捨てきれた人間として
挙げられるのはマザーテレサなど限られた人しかいないと
言っています。
しかし、だからこそ魂の磨き甲斐、生きがいがあるではないでしょうか。
自分が苦しいという境涯から抜けたいと思っていたり、
自分の希望や思いを実現したいと思っていればこそ
執着から離れることが、生きたい自分への近道と思います。
単純に考えれば、自分以外の誰かを喜ばせようとか、笑わせようとか
しているときには、おそらく自分の小我は小さくなっていると思います。
間違いないです。
そういう境涯に入っていけば執着からは離れていくし、
本当の慶びになると思います。
もし、守護霊と通じ合うことが本当にあるのなら、まるで奇跡のような
ことが起こるのはないでしょうか。
その先を信じるより、まずは執着を捨てる努力をしたいと思います。
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