臨済宗妙心寺退蔵院副住職・松山大耕さんのインタビューを読んで
更新日 令和3年12月17日
妙心寺三門の上より仏殿を望む。6月18日、今日は年に一度の三門懺法。境内の電柱が地中化され昔ながらの風景が蘇った。400年前からこんな景色が広がっていたのかと思うと感慨深い。 pic.twitter.com/UikTFhAU6y
— 松山大耕 (@daikomatsuyama) June 18, 2021
週刊ダイヤモンド2020年9月26日号は「賢人 100人に聞く!日本の未来」と題して、各界の100名の賢者のインタビューを採録している。仏教界からは、宗派を越えて活躍している臨済宗妙心寺退蔵院の松山大耕氏のインタビューが採録されていた。
ここでは、コロナ渦においては、新型コロナウィルスに感染し、家族とも会えず骨となって家族と再会してしまうこと、死に対する疑問や今まで遠かった死をより近く考えるようになったことが書かれていました。
松山氏は、死を考えることは生を考えることでもあり、そう考える社会になってきたこと自体はある意味良いことと示されています。
これについては私もそのように思います。私自身も、東日本大震災の被災地に住み、身近な死を突然に多く体験したのもそうですし、友人や友人の家族がコロナに感染し、重症な状態になり、そのような危機を改めて目の当たりにしました。
ただし、私の場合は死から生について考えたのはその通りですが、コロナから免れようというのは、死を避けようという短絡的な考えであったと反省しています。松山氏の語るよう人間の死亡率は100%間違いのない事実です。
松山氏は、宗教の天災における役割は、心を集めることと説きます。天平時代に人の心を集めた結果、奈良の大仏が建立されたと聞きます。ここで、私のできることは仏教の教えに触れることだと感じます。心を集めるとは同じ考えに人を統一するのではなく、精神の集中ではないかと思います。そこに生きるという疑問への答えや死生観をみつけることができるかもしれません。死生観は生きることの追求することで触れられるような気がします。
0 件のコメント:
コメントを投稿